西洋甲冑
他社買取価格:48,000円
60,000円
甲冑
他社買取価格:1,000,000円
1,200,000円
甲冑
他社買取価格:20,000円
32,000円
甲冑 兜
他社買取価格:45,000円
52,000円
甲冑
他社買取価格:60,000円
72,000円
甲冑
他社買取価格:65,000円
80,000円
甲冑
他社買取価格:90,000円
120,000円
甲冑
他社買取価格:120,000円
155,000円
甲冑
他社買取価格:140,000円
180,000円
甲冑
他社買取価格:180,000円
230,000円
甲冑
他社買取価格:280,000円
320,000円
甲冑
他社買取価格:650,000円
800,000円
いわゆるブランド品をはじめ、時計、宝石、貴金属、アパレル、骨董品など、ダンシャリ銀座が取り扱う商品には全て「相場」が存在します。 この相場は国内だけでなく海外でも同様に存在し、商品によってその相場はかなり変動します。 一般的な買取業者は買い取った商品を国内で個人販売したり業者に卸したりしますが、その場合はどうしても国内の相場の影響を受けます。 しかし、ダンシャリ銀座は法人・個人共に海外で販売するネットワークを保持しており、さらに輸出コストを負うことなく、取引時点で最高値の販路に提供することが可能なので、他社様には真似できない査定額をお出しできるのです。 分かりやすく言えば、「普通ならこの商品は500円以上では売れないけど、私たちは1,000円で買ってくれる人を知っています」ということです。 この差が、他社様との買取額の差になります。
ダンシャリ銀座は本店を銀座においていますが、基本的にはインターネットを中心としたお取引をさせていただいております。 ご存知の通り、複数店舗を構えることは、どこにでもあるという安心感は得られると思いますが、その店舗を維持する経費は驚くほど高額です。 その固定費を賄うためにはより多くの利幅をお客様から頂戴しなければなりません。 私どもダンシャリ銀座は、お客様や取引先と常にwin-winの関係を目指しておりますので、こちらの事情や都合を押し付けるようなことはいたしません。 お客様がお持ちの品の価値を最大限に引き出すのが役目ですから、より高く買い取りできる仕組みを構築してあります。 日頃の経費はもちろん、配送費や在庫管理費から広告費に至るまで全ての管理項目において不要なコストは削減し、その分も査定額、買取額に還元できる体制になっております。
買取業の商いは、基本的には「相場」を中心に行われています。 最新の相場を知らずして売買をすることは、お客様だけでなく、私たち自身も大損をする危険性があります。 また、私たちが取り扱う商品の種類は数万という数に及び、その全てに相場が存在します。 「知らない」ということが非常にリスクな商いでもあるのです。 私どもダンシャリ銀座では、各分野に、深い知識と確かな経験を持つ鑑定士を配備しております。 専門性を高めることで「選択と集中」が実現でき、お客様にとっても私たちにとっても有益だと考えるからです。 さらには社長及び経営幹部自らヘッドハンティングを行い、会社の看板である鑑定士の精鋭部隊を揃えておりますので、自信を持って日々の査定を行っております。
甲冑は染め、織り、彫金など美術工芸の粋を尽くした価値ある歴史の遺品である。わが国の甲冑は「カワラ」の名で「古事記」や「日本書紀」に記述されているのが初見で、言葉の上では、コロヒ・モノノグ・キセナガ・具足と呼び名を変えていきます。カワラという言葉が革からでたものであろうと考証したのは、江戸時代の学者、新井白石であると、甲冑研究家で述べている。カワは外面を覆う硬い部分、つなり人間の皮膚や動物の毛皮、あるいは植物、果実、などの皮のことで、これにラを添え言葉としてカワラを呼ぶようになったという。やがて、この「カワラ」が「ヨロヒ」と変化する。ヨロヒとは鎧、甲とも書き、このヨロヒは備わるとか着るとわいう意味の具うから出た言葉といわれる。これを中国風にいうと具足ということになるのである。兜は「かぶと」と読み、頭に被るものという意味で「冑」と書くこともある。ヨロヒから具足に置き換えられるようになったのは、南北朝鮮時代以後のことである。甲冑の防御が第一目的なので、敵の攻撃武器の発足、および先頭方式の変化により、その形を変えます。当然ながら攻撃武器と甲冑は密接な歓迎に置かれていることになります。まず攻撃方法を見ると、原始的なものとして小石や木の棒などがあります。これらは投げる、叩く、突くなどして使用されました。縄文時代には、石槍、石斧、木の弓などの武器が出現します。石槍は長い柄に石を結びつけ、相手を突く、あるいや投槍として使うことが一般的であった。通常は腰に下げ、時として短剣のような役割も果たしたと考えられます。弥生時代になり、外国より鉄や青銅の貴金属が輸入されるとかなり武器らしい形が整ってくる。それは鉄製の剣や太刀、矛、刀子などで、これに対して身を守る武具として短甲に衝角付冑が作られるのである。さらに奈良時代になると、けいこう、めんこう、かわこうにまびさし付甲めんおう冑などが出現します。平成・鎌倉時代にあh、弓矢、太刀、長巻などの攻撃武器が主力になり戦闘形態も徒歩戦から騎馬戦として登場するのが大鎧である。別名「武正の鎧」ともいう。またそのほかに雑兵や三法師などが着用した胴丸や、平時に用心の為に着用した腹当などもありました。平安時代中期から鎌倉時代初期の株とは全て星の大きい厳星で、鎌倉時代中期には小星兜が使用されました。さらに末期に入ると筋兜も登場します。