プラダ
ガレリア ハンドバッグ 赤
他社買取価格:110,000円
126,000円
プラダ
スタッズ2WAYミニショルダーバッグ
他社買取価格:40,000円
70,000円
プラダ
BN2611
他社買取価格:45,000円
70,000円
プラダ
テスートゴーフル BN1407
他社買取価格:50,000円
80,000円
プラダ
サフィアーノ ガレリアバッグ
他社買取価格:115,000円
130,000円
プラダ
デニム B18720
他社買取価格:60,000円
95,000円
プラダ
サフィアーノ ラウンドジップ長財布
他社買取価格:32,000円
40,000円
プラダ
サフィアーノ ヴェルニック
他社買取価格:60,000円
80,000円
プラダ
ミニカナパトート ピンク
他社買取価格:55,000円
70,000円
プラダ
サフィアーノ ルクス
他社買取価格:90,000円
120,000円
プラダ
サフィアーノ オロ
他社買取価格:7,000円
10,000円
プラダ
サフィアーノ リボン付き 長財布
他社買取価格:30,000円
35,000円
いわゆるブランド品をはじめ、時計、宝石、貴金属、アパレル、骨董品など、ダンシャリ銀座が取り扱う商品には全て「相場」が存在します。 この相場は国内だけでなく海外でも同様に存在し、商品によってその相場はかなり変動します。 一般的な買取業者は買い取った商品を国内で個人販売したり業者に卸したりしますが、その場合はどうしても国内の相場の影響を受けます。 しかし、ダンシャリ銀座は法人・個人共に海外で販売するネットワークを保持しており、さらに輸出コストを負うことなく、取引時点で最高値の販路に提供することが可能なので、他社様には真似できない査定額をお出しできるのです。 分かりやすく言えば、「普通ならこの商品は500円以上では売れないけど、私たちは1,000円で買ってくれる人を知っています」ということです。 この差が、他社様との買取額の差になります。
ダンシャリ銀座は本店を銀座においていますが、基本的にはインターネットを中心としたお取引をさせていただいております。 ご存知の通り、複数店舗を構えることは、どこにでもあるという安心感は得られると思いますが、その店舗を維持する経費は驚くほど高額です。 その固定費を賄うためにはより多くの利幅をお客様から頂戴しなければなりません。 私どもダンシャリ銀座は、お客様や取引先と常にwin-winの関係を目指しておりますので、こちらの事情や都合を押し付けるようなことはいたしません。 お客様がお持ちの品の価値を最大限に引き出すのが役目ですから、より高く買い取りできる仕組みを構築してあります。 日頃の経費はもちろん、配送費や在庫管理費から広告費に至るまで全ての管理項目において不要なコストは削減し、その分も査定額、買取額に還元できる体制になっております。
買取業の商いは、基本的には「相場」を中心に行われています。 最新の相場を知らずして売買をすることは、お客様だけでなく、私たち自身も大損をする危険性があります。 また、私たちが取り扱う商品の種類は数万という数に及び、その全てに相場が存在します。 「知らない」ということが非常にリスクな商いでもあるのです。 私どもダンシャリ銀座では、各分野に、深い知識と確かな経験を持つ鑑定士を配備しております。 専門性を高めることで「選択と集中」が実現でき、お客様にとっても私たちにとっても有益だと考えるからです。 さらには社長及び経営幹部自らヘッドハンティングを行い、会社の看板である鑑定士の精鋭部隊を揃えておりますので、自信を持って日々の査定を行っております。
プラダの歴史は今から100年以上前、1913年創始者であるマリオ・プラダによってスタートします。
イタリアのミラノの中心地の商業施設に高級バッグなどを扱う店舗として始まり、ヨーロッパの貴族たちから愛されるお店となり、オープンして6年後にはイタリア王室から御用達のブランドとなりました。
今でもその名残があり、皆さんご存知のプラダのマークにはロープで囲まれているデザインがあります。これは当時イタリア王家の紋章にロープが使われていて、そのマークをプラダが使っていいという認定を貰っていたことに所以します。
ブランド開始当初プラダではシルバーや翡翠、鼈甲、陶器や象牙で作られたトランクケースや杖など他にはない独自の製品でした。
マリオ・プラダは世界を旅し、冒険し色々な世界をみて様々な素材や文化と触れ合ったことでイタリア文化だけでなく世界の文化を融合させた新しい商品を創造することができたのでしょう。
一代にしてイタリアの有名ブランドになったプラダはその後苦難の道をたどることになります。創始者であるマリオは1958年に他界し、マリオの娘ルイーザがプラダを継ぎ最初は問題なく経営をしていくことが出来ましたが、時代が高級品を求めなくなってきたこともありプラダの人気が少しずつ下降していくこととなります。
倒産寸前にまで追い込まれたプラダを救ったのがマリオの孫娘であるミウッチャとその夫パトリッツィオです。現在のプラダの原型ともなるバッグの新素材を開発します。
ボコノというその新素材は軽くて丈夫で耐水性にも優れた現在のナイロンのようなもので、この素材を使いバッグやリュックを販売し始めたところ、瞬く間にイタリアで人気の商品になりプラダノ人気が復活しました。ミウッチャは新しいバッグの素材を見つけてきただけでなくデザイナーとしても経営者としても一流でした。彼女はミラノ大学を優秀な成績で卒業し、博士号も取得しています。時代の最先端の素材を組み合わせたデザインのバッグを数多く作り出し、その後のプラダの歴史を作った人物とされています。一見新素材を見つけていたのが孫娘のミウッチャ夫妻のようにみられていますが、実はこの素材も創業者のマリオがトランクケースの一部に使用していた素材でした。現在も愛されるプラダは創業者の意思が脈々と受け継がれるブランドだということを再認識させてくれる事実ですね。
1980年代に入るとプラダノ人気はさらに加速していきます。バッグやリュックだけでなく靴やレディースのコレクション、ウェアラインの発表など、世界の一流ブランドとして認知されていきます。
1993年にはプラダのセカンドラインにあたるミュウミュウを発表し、1998年には赤いラバーをデザインの基調とした新ライン、プラダスポーツを開始します。プラダの人気はその後も右肩上がりに推移し現在ではプラダグループとしてジルサンダーやFENDIなど巨大ブランドを買収し一大企業となっています。